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檜枝岐の山椒魚捕り           Photo & Text (C) Hideo HIguchi

 1980年代後半、日本はバブル景気の絶頂だった。列島の豊かな自然景観は「開発」という経済論理で激しい破壊に遭っていた。自然は調和が損なわれ、動植物も消えていく。こんなバカなことを続けていれば、取り返しがつかなくなることは目に見えていた。もちろん多くの心ある者はこの危機を敏感に感じ取ったものの、なまじ「自然」を意識したばかりに、そこを突いてくる巧みなコマーシャリズムに(自然に寄せる思いを)かすめ取られてしまう。バブルの絶頂期には『BE-PAL』などアウトドア雑誌が急激に売上部数を伸ばし、「パジェロ」に代表されるRVが売れ筋車種に躍り出た。「ほしいものが、ほしいわ。」と大手百貨店のキャッチコピーが時代の気分を代弁する。「自然愛好者」といえど所詮バブルの中で呼吸していた。われわれは雑誌で紹介される「価値あるアウトドアギア」をめざとく見つけて手に入れると、それをRVに積み込んで自然のなかに拓かれたオートキャンプ場に向かって行った。それが自然に思いを寄せる「自然愛好者」の当時のライフスタイルだった。
 私が檜枝岐で山椒魚を捕っている星寛さんの存在を知ったのはちょうどこの頃だった。15歳のときから45年間、ずっと山椒魚を採り続けてきた人だ。1988年と1989年の2シーズン、星さんの山椒魚漁に同行させてもらった。漁場は桧枝岐の山深く、父親から受け継いだ8本の沢。一緒に歩いた沢には熊が出没した痕跡がいくつもあった。「目をそらせていると、そのうちいなくなる」というのが星さんの体験的熊対処法。たしかに山に入ったときの星さんのたたずまいは自然の一部と化していた。淡々としていて力みが無い。その場に溶け入っている感じだ。きっと熊やカモシカの目から見ても、この人は森に棲む生き物の一員に映っているに違いない。私は遅れをとらないように必死にあとを追いかけながら、目の前に本物の「狩人」がいると気付いて感動した。


罠「ズー」/山椒魚漁/山椒魚小屋/曲げわっぱ/地図/掲載誌

→小沢倉沢
小沢倉沢での漁がこの日から始まった。漁期は約2週間。毎年初日にやる仕事は沢の各所に罠を仕掛けること。山椒魚小屋から20個の罠「ズー」を背負って沢に向かった。
(1989年6月7日撮影)
→荒倉沢
23ケ所に仕掛けたズーを回収した。1個のズーに平均10匹、最高で23匹入っていた。メスは腹に6−8個の卵を抱えていて、それが外側からも見て取れる。
(1988年6月13日撮影)
→左惣沢
星さんが山椒魚を捕る沢のなかで一番距離が長く約2kmある。1個のズーのなかに100匹もの山椒魚が入ることもある。ブナの幹には生々しい熊の爪痕がついていた。
(1989年6月7日撮影)
     
→山椒魚小
毎年漁期が始まると、星さん夫婦は檜枝岐村中心街の自宅から6km離れた山椒魚小屋に暮らしの場を移す。小屋で寝泊まりしながら山椒魚を捕り、薫製に加工する。
(1989年6月)
→曲げ輪っぱ作り
7月中旬に山椒魚漁が終わると、蕎麦畑に種を撒き、お盆と祭りが過ぎた8月下旬からは曲げ輪っぱ作りを翌年春まで続ける。檜枝岐の厳冬期、星さんの作業小屋を訪ねた。
(2000年2月)
→位置図
 檜枝岐の場所
 山椒魚小屋の場所
 小沢倉沢、荒倉沢、左惣沢の場所
     
 
→アニマ 1989年6月号「渓流の山椒魚採り」
かつて秘境といわれた南会津の山村檜枝岐では、サンショウウオが棲息する沢がたくさんある。今は数人になってしまった山椒魚採りのしごとを森の中にたずねてみた。(本文掲載)

撮影者について

北海道西海岸 鰊番屋全記録

 



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